遠野郷八幡宮・遠野南部流鏑馬とは?

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遠野郷八幡宮・遠野南部流鏑馬(読み方:とおのごうはちまんぐう とおのなんぶやぶさめ)は、岩手県遠野市にある、遠野郷八幡宮の例祭で、毎年行われます。

総奉行(そうぶぎょう:神前に供えた神矢を神職から授けられる)が、「遠野南部神事流鏑馬始めませ」と宣言して始まります。

馬上から的を弓で射る射手奉行(しゃしゅぶぎょう)は、長さ約220mの直線馬場(ばば)を駆け抜けながら、3つの的(杉板)を狙います。

その後に続いて、介添奉行(かいぞえぶぎょう)が「よう射たりや」と連呼しながら射手の後を駆け抜けていきます。

介添奉行は、孫が見事命中させた際、それを見た祖父が喜びの余り「よう射たりや」と叫んで馬場を疾走したのが元となっているそうです。

射手奉行は3回の走りを繰り返し、的を合計9回狙います。

馬場の両側には埒(らち)が設けられ、進行方向の左側に的があり、的側は男埒(おらち)と呼び、反対側は女埒(めらち)と呼びます。

遠野郷八幡宮・遠野南部流鏑馬の服装

舟型侍烏帽子(ふながたさむらいえぼし)、鎧直垂(よろいひたたれ:鎧の下に着る着物)、行縢(むかばき:鹿の夏毛で作られる)、箙(えびら:矢を入れる容器)、沓(くつ)

遠野郷八幡宮・遠野南部流鏑馬の始まりや由来、歴史、起源は?

遠野南部氏4代・南部師行(なんぶ もろゆき)が1335年(建武2年:けんむ)に、鎌倉鶴岡八幡宮にならい青森県八戸市にある櫛引八幡宮(くしひきはちまんぐう)へ奉納したことが、遠野南部流鏑馬の起源とされます。

八戸から転封(てんぽう:幕府の命令で領地を移す事)していた、南部直栄(なんぶ なおひさ)が1661年(寛文元年:かんぶん)に、現在地に遷宮(神殿を造営又は改装するときに神体を移す事)して流鏑馬用の馬場(ばば)を造り(直線約220m)、奉納したのが始まりです。

遠野八幡宮馬場は、1981年(昭和56年)2月23日に、遠野市指定文化財(史跡)に登録されています。

遠野郷八幡宮・遠野南部流鏑馬は、いつ行われるの?

毎年9月の第3日曜日、例祭(土日開催)の2日目に行われます。

遠野郷八幡宮の場所・住所(アクセスと駐車場)

岩手県遠野市松崎町白岩23−19

▼自動車
釜石道遠野ICより約10分

※専用駐車場は有りますが、祭りの時は使用出来なくなります。

▼電車
JR釜石線遠野駅より徒歩約30分

▼バス
岩手交通・土淵線(つちぶちせん)「八幡神社前」で下車、徒歩約2分

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