鎌形八幡神社・流鏑馬とは?

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鎌形八幡神社・流鏑馬(読み方:かまがたはちまんじんじゃ やぶさめ)は、埼玉県比企郡嵐山町鎌形(ひきぐんらんざんまち・都幾川桜堤(ときがわさくらづつみ)・八幡橋付近で、毎年行われます。

倭式騎馬會(わしききばかい)が奉納します。

馬上から的を弓で射る射手(いて)は、都幾川桜堤八幡橋(ときがわさくらづつみはちまんばし)付近に設けられた、直線の特設馬場(ばば)を駆け抜けながら、3つの的(一辺約50cmの板)を狙います。

各射手は2回ずつ走り、合計6回狙います。

馬場の両側には埒(らち)が設けられ、進行方向の左側に的があり、的側は男埒(おらち)と呼び、反対側は女埒(めらち)と呼びます。

道産子や木曽馬系等の和種馬(在来馬:ざいらいば)に乗り、和鞍(わぐら)、和鐙(わあぶみ)、和銜(わばみ)を使います。

鎌形八幡神社・流鏑馬の服装

▼男性射手
綾藺笠(あやいがさ:いぐさを編んで裏に布を張った笠)、立烏帽子(たてえぼし:高く立てたままで折らない)、鎧直垂(よろいひたたれ:鎧の下に着る着物)、行縢(むかばき:鹿の夏毛で作られる)、射籠手(いごて:弦が袖に当たるのを防ぐ)、太刀、前差し(まえざし)、弦巻(つるまき)、箙(えびら:矢を入れる容器)、物射沓(ものいぐつ:革製のくつ)

▼女性射手
天冠(てんかん)、水干(すいかん:丸襟で背縫いがない)、水干袴(すいかんばかま)、箙、沓(くつ)、※射籠手(つけている場合もある)

鏑矢(かぶらや:先端に卵型で中が空洞の武具を付けたもの)を射ます。

鎌形八幡神社・流鏑馬の始まりや由来、歴史、起源は?

源義家(みなもとのよしいえ)が1087年(寛治元年:かんじ)に、後三年の役(ごさんねんのえき)の戦勝祈願で奉納したのが始まりだそう。

義家の流れをくむ源義仲(みなもとのよしなか:木曽義仲の名で知られる)の生誕地で、1926年(大正末年)まで毎年9月15日に奉納されていたものが中断し、平成になって鎌形流鏑馬後援会により復興され、現在に至るそう。

この為、木曽義仲公追悼(きそよしなかこうついとう)となっています。

鎌形八幡神社・流鏑馬は、いつ行われるの?

毎年4月上旬(日付は毎年変動する)に行われます。

都幾川桜堤の場所・住所(アクセスと駐車場)

埼玉県比企郡嵐山町鎌形1995(鎌形八幡神社駐車場の住所)付近

▼自動車
関越自動車道嵐山小川ICより約20分、東松山ICより約20分

▼電車
東武東上線武蔵嵐山駅より車で約8分、徒歩約45分
JR八高線明覚駅より車で約8分、徒歩約50分

▼バス
東武東上線嵐山駅西口より、と02・イーグルバス「駒形」下車、徒歩約10分

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