富士山本宮浅間大社・流鏑馬まつりとは?

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富士山本宮浅間大社・流鏑馬まつり(読み方:ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ やぶさめまつり)は、静岡県富士宮市(ふじのみやし)にある、富士山本宮浅間大社で毎年行われます。

最大の見どころは、2日目の午前中に行われる浅間大社流鏑馬式と、午後に行われる神事流鏑馬式(しんじやぶさめしき)です。

浅間大社流鏑馬式(古式)とは?

富士山本宮浅間大社流鏑馬として、2006年(平成18年)9月8日に、富士宮市無形民俗文化財に登録されています。

拝殿(はいでん:拝むために本殿の前の建物)で神事が行われ、射手(いて)に弓矢が授けられ、馬場(ばば)入りし、「行い(おこない)」が行われます。

行いは、二人の口取り(くちとり:馬を引くこと)に引かれ的の前に行き、馬上で弓の弦を確かめた後、弓に矢を番え(つがえ)天に向けたまま、口取に引かれて小さく円を描くように一回転します。次に地に向けたまま、小さく一回転します。

次は四方の地に向け(左斜め前、左斜め後、右斜め前、右斜め後)、最後に的へ向けて弓を引いて戻す動作を2回繰り返し、3回目で的に向けて矢を放ちます。

行いが終わると本乗り(ほんのり)になり、口取りで直線馬場の的前まで行き、止まった状態で的を射た後、馬場を駆け抜けていきます。さらに弓を持たずに2往復駆け抜けます。

富士山本宮浅間大社・流鏑馬まつり・練行(れんぎょう)

浅間大社流鏑馬式(古式)が終わった後、神事流鏑馬式の前に、鎌倉時代の装束等で市内を約2時間ほど練り歩き、流鏑馬が行われる事を知らせます。

富士山本宮浅間大社・神事流鏑馬式とは?

弓馬術礼法小笠原教場(きゅうばじゅつれいほうおがさわらきょうじょう)が奉納します。略称(小笠原流)。

馬上から的を弓で射る射手は、長さ約150mの直線馬場を駆け抜けながら、2つの的を狙います。

矢を番える動作の間に、「陰陽(いんよー)」という声を発します。

スタート地点を馬場元(ばばもと)と呼び、一の的(いちのまと)、二の的(にのまと)、ゴール地点を馬場末(ばばすえ)と呼びます。

的は一辺約55cm(一尺八寸)の杉板。

馬場の両側には埒(らち)が設けられ、進行方向の左側に的があり、的側は男埒(おらち)と呼び、反対側は女埒(めらち)と呼びます。

富士山本宮浅間大社・神事流鏑馬式・小笠原流流鏑馬の服装

▼流鏑馬射手(やぶさめいて:鎌倉時代の狩装束)
綾藺笠(あやいがさ:いぐさを編んで裏に布を張った笠)、立烏帽子(たてえぼし:高く立てたままで折らない)、鎧直垂(よろいひたたれ:鎧の下に着る着物)、行縢(むかばき:鹿の夏毛で作られる)、射籠手(いごて:弦が袖に当たるのを防ぐ)、太刀、前差し(まえざし)、弦巻(つるまき)、箙(えびら:矢を入れる容器)、物射沓(ものいぐつ:革製のくつ)

雁股矢(かりまたや:矢の先が股を開いたように分かれた形状のもの)を射ます。

▼平騎射(ひらぎしゃ:江戸時代の軽装束)
騎射笠(きしゃがさ:竹を編んで漆塗りにしたもの)、筒袖(つつそで:和服の袖の形)の紋付(もんつき:家紋の入った着物)、小袴(こばかま:すその短い狩り用の袴)

鏑矢(かぶらや:先端に卵型で中が空洞の武具を付けたもの)を射ます。

※和鞍(わぐら)、和鐙(わあぶみ)、和銜(わばみ)を使います。

富士山本宮浅間大社・流鏑馬まつりの始まりや由来、歴史、起源は?

1193年(建久4年:けんきゅう)に、源頼朝(みなもとのよりとも)が富士の裾野で巻狩を行った際に、富士山本宮浅間大社に流鏑馬を奉納した事が始まりだそう。

富士山本宮浅間大社・流鏑馬まつりは、いつ行われるの?

毎年5月4日~6日に行われます。

富士山本宮浅間大社の場所・住所(アクセスと駐車場)

静岡県富士宮市宮町1−1

▼自動車
東名高速道路富士ICより約15分
新東名高速道路新富士ICより約11分

専用駐車場は期間中使えませんが、臨時駐車場が設けられます。

▼電車
JR身延線富士宮駅より徒歩約12分、西富士宮駅より徒歩約10分
東海道新幹線新富士駅より車で約20分

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