大汝牟遅神社・伊作流鏑馬(読み方:おおなむちじんじゃ いざくやぶさめ)は、鹿児島県日置市(ひおきし)にある大汝牟遅神社で、毎年行われます。
馬上から的を弓で射る2人の射手(いて)は、神社前の道路に設けられた、長さ約200mの直線馬場(ばば)を駆け抜けながら、3つの的を狙います。
板的は平木を9枚組み合わせたもので、2頭で交互に3回ずつ、合計6回駆け抜けます。
スタート地点を馬場本(ばばもと)と呼び、一の的(いちのまと)、二の的(にのまと)、三の的(さんのまと)、ゴール地点を馬場末(ばばすえ)と呼びます。
馬場の両側には埒(らち)が設けられ、進行方向の左側に的があり、的側は男埒(おらち)と呼び、反対側は女埒(めらち)と呼びます。
大汝牟遅神社・伊作流鏑馬・あげ馬の式とは?
鳥居前で神前に向かい、代表が願文(がんもん)を奏上し、2人の射手が交互に馬上で矢を振りながら、臨兵闘者皆陣列在前(りん・ぴょう・とう・しゃ・かい・じん・れつ・ざい・ぜん)を各1回ずつ、阿毘羅吽欠蘇婆訶(あ・び・ら・うん・けん・そ・わ・か)を各2回ずつ切ります。
大汝牟遅神社・伊作流鏑馬の服装
綾藺笠(あやいがさ:いぐさを編んで裏に布を張った笠)、鎧直垂(よろいひたたれ:鎧の下に着る着物)、行縢(むかばき:鹿の夏毛で作られる)、射籠手(いごて:弦が袖に当たるのを防ぐ)、箙(えびら:矢を入れる容器)、足袋
征矢(そや:鏃のついた矢)を射ます。
※和鞍(わぐら)、和鐙(わあぶみ)を使います。
大汝牟遅神社・伊作流鏑馬の始まりや由来、歴史、起源は?
1538年(天文7年:てんぶん)に、伊作島津氏10代忠良(ただよし)は加世田(かせだ)攻めに際し戦勝祈願を行い、勝利した際には毎年流鏑馬を奉納すると誓い出陣。勝利した為、毎年奉納するようになったそうです。
射手は宮下・宮内両家の世襲制でしたが、現在は保存会が奉納しています。
吹上 大汝牟遅神社の流鏑馬として、1981年(昭和56年)3月27日に、鹿児島県指定無形民俗文化財に登録されています。
大汝牟遅神社・伊作流鏑馬は、いつ行われるの?
毎年11月23日に行われます。
大汝牟遅神社の場所・住所(アクセスと駐車場)
鹿児島県日置市吹上町中原2236
▼自動車
南九州西回り自動車道美山ICより約21分
南薩縦貫道(川辺道路)南九州川辺ダムICより約28分
専用無料駐車場があります。
▼電車
JR鹿児島本線伊集院駅より車で約23分
JR指宿枕崎線慈眼寺駅より車で約24分
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