綱分八幡宮神幸行事とは?

sokaijoba

綱分八幡宮神幸行事(読み方:つなわきはちまんぐうしんこうぎょうじ)は、福岡県飯塚市にある綱分八幡宮で2年に1度(西暦奇数年)、2日間にわたり行われます。

最大の見どころは2日目に行われる流鏑馬(やぶさめ)で、旧豊前小倉藩相傳・小笠原弓馬術流鏑馬武徳会(きゅうぶぜんこくらはんあいでん おがさわらきゅうばじゅつやぶさめぶとくかい)が奉納します。

馬上から的を弓で射る射手(いて)は、参道に設けられた特設馬場(ばば)、長さ約100mの直線を駆け抜けながら、2つの板的を狙います。

矢を番える(つがえる)動作の間に、「陰陽(いんよー)」という声を発します。

スタート地点を馬場元(ばばもと)と呼び、一の的(いちのまと)、二の的(にのまと)、ゴール地点を馬場末(ばばすえ)と呼びます。

馬場の両側には埒(らち)が設けられ、進行方向の左側に的があり、的側は男埒(おらち)と呼び、反対側は女埒(めらち)と呼びます。

綱分八幡宮神幸行事・流鏑馬の服装

綾藺笠(あやいがさ:いぐさを編んで裏に布を張った笠)、立烏帽子(たてえぼし:高く立てたままで折らない)、鎧直垂(よろいひたたれ:鎧の下に着る着物)、行縢(むかばき:鹿の夏毛で作られる)、射籠手(いごて:弦が袖に当たるのを防ぐ)、太刀、前差し(まえざし)、弦巻(つるまき)、箙(えびら:矢を入れる容器)、物射沓(ものいぐつ:革製のくつ)

鏑矢(かぶらや:先端に卵型で中が空洞の武具を付けたもの)を射ます。

※和鞍(わぐら)、和鐙(わあぶみ)、和銜(わばみ)を使います。

綱分八幡宮神幸行事の始まりや由来、歴史、起源は?

天正年間(てんしょうねんかん:1573~1592年)に、秋月種実(あきづきたねざね)社領を寄進し祭りが行われ、1789年(天明9年:てんめい)に神幸祭等が行われた記録があるそう。

綱分八幡宮神幸行事として、1976年(昭和51年)4月24日に、福岡県無形民俗文化財に登録されています。

綱分八幡宮神幸行事は、いつ行われるの?

2年に1度(西暦奇数年)10月13・14日に近い土曜・日曜日(日付は毎回変動する)に行われます。

綱分八幡宮の場所・住所(アクセスと駐車場)

福岡県飯塚市綱分866−1

▼自動車
八木山バイパス筑穂波東ICより約12分

専用駐車場が会場になる為、駐車場はありません。

▼電車
JR筑豊本線・後藤寺線新飯塚駅より車で約11分
JR後藤寺線筑前庄内駅より車で約5分

▼バス
JR筑豊本線・後藤寺線新飯塚駅より西鉄バス赤坂橋行き「綱分」下車、徒歩約5分
JR後藤寺線筑前庄内駅より徒歩約4分の赤崎橋バス停から、西鉄バス飯塚バスターミナル行き「綱分」下車、徒歩約5分

流鏑馬はこちら


-日本の馬の祭り・神事, 福岡県の馬の祭り・神事