大分八幡宮放生会・流鏑馬(読み方:だいぶはちまんぐうほうじょうえ やぶさめ)は、福岡県飯塚市にある大分八幡宮の秋の例大祭(2日目)で、毎年行われます。
馬上から的を弓で射る射手(いて)は、境内に設けられた円形馬場(ばば)を駆け抜けながら、1つの板的を狙います。
馬場の両側には埒(らち)が設けられ、進行方向の左側に的があり、的側は男埒(おらち)と呼び、反対側は女埒(めらち)と呼びます。
大分八幡宮放生会・流鏑馬の服装
▼鎌倉時代の狩装束
綾藺笠(あやいがさ:いぐさを編んで裏に布を張った笠)、鎧直垂(よろいひたたれ:鎧の下に着る着物)、行縢(むかばき:鹿の夏毛で作られる)、射籠手(いごて:弦が袖に当たるのを防ぐ)、太刀、前差し(まえざし)、弦巻(つるまき)、箙(えびら:矢を入れる容器)、物射沓(ものいぐつ:革製のくつ)
雁股矢(かりまたや:矢の先が股を開いたように分かれた形状のもの)を射ます。
▼江戸時代の軽装束
騎射笠(きしゃがさ:竹を編んで漆塗りにしたもの)、筒袖(つつそで:和服の袖の形)の紋付(もんつき:家紋の入った着物)、小袴(こばかま:すその短い狩り用の袴)
鏑矢(かぶらや:先端に卵型で中が空洞の武具を付けたもの)を射ます。
※和鞍(わぐら)、和鐙(わあぶみ)を使います。
大分八幡宮放生会・流鏑馬の始まりや由来、歴史、起源は?
いつから始まったかは定かではないそうですが、900年(昌泰3年:しょうたい)に放生会が斎行された記録があるそうです。
応仁の乱以降(1477年)に衰退し一時途絶えますが、1721年(享保6年:きょうほう)に復活、1723年(享保8年)には流鏑馬が奉納されています。
大分八幡宮放生会・流鏑馬は、いつ行われるの?
毎年9月最終土曜・日曜日(日付は毎年変動する)に行われます。
大分八幡宮の場所・住所(アクセスと駐車場)
福岡県飯塚市大分1272
▼自動車
八木山バイパス筑穂ICより約7分、穂波西ICより約8分
専用無料駐車場があります。
▼電車
JR篠栗線筑前大分駅より徒歩約18分
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