多度大社多度祭・上げ馬神事とは?

sokaijoba

多度大社多度祭・上げ馬神事(読み方:たどたいしゃたどまつり あげうましんじ)は、三重県桑名市にある、多度大社の多度祭で、毎年行われます。

※「馬が坂を駆け上がる祭り」として有名でしたが、2023年に馬が骨折により殺処分された事をきっかけに、動物虐待ではないかと多く話題になり、壁のを無くす等、形を変えて存続かどうかという岐路にたっています。

町内6つの地区、小山(おやま)、戸津(とづ)、北猪飼(きたいかい)、猪飼(いかい)、力尾(ちからお)、多度から16歳以上の少年騎手が各1名選ばれます。

さらに肱江(ひじえ)地区からは、神児(しんじ)と呼ばれる少年騎手が1名選ばれます。

多度祭御殿の横にある、高さ約2メートルの上げ坂(あげさか)を、選ばれた少年騎手が駆け上がります

毎年順番が交代で代わり、最初に行なう一番手を花馬(はなうま)と呼びます。

少年騎手の衣装にも決まりがあり、5月4日は陣笠裃姿(じんがさかみしもすがた)、5月5日は花笠武者姿(はながさむしゃすがた)を着用します。

多度大社多度祭・上げ馬神事の目的は?

農小作の時期、豊作凶作を占うのがメインで、数多く上がりきれば豊作、少なければ凶作と言われます。

さらに最初の馬が上がったタイミングによって、植える苗の種類も占うそう。

・最初の方なら、早く成熟する早稲(わせ)

・真ん中辺りなら、上と下の間に成熟する中手(なかて)「中稲とも書くそう」

・最後の方なら、遅く実る晩稲(おくて)

多度大社多度祭・上げ馬神事の始まりや由来、歴史、起源は?

南北朝時代(1336~1392年)の前半あたりから、始まったとされています(鎌倉時代と、室町時代に挟まれる時代)。

本来は、神に良馬を献ずるものであり、時代と共に変化して現在の形になったそう。

多度大社 上げ馬神事は、1978年(昭和53年)2月7日に、三重県の無形民俗文化財に登録されています。

多度大社多度祭・上げ馬神事は、いつ行われるの?

毎年5月4日・5日、2日間に渡って行われます。

多度大社多度祭・上げ馬神事のタイムスケジュール(5月4日)

・8時:例祭前日祭

・9時半:騎射馬乗込

・11時頃:馬場乗(ばばのり)
「人馬の準備運動」

・11時半頃:坂爪掛(さかつめかけ)
「6地区それぞれの代表者が坂の上に集まり、坂の一部を青竹で削るもので、一番手は自分が最初に上がりやすいように削り、それ以外の代表者は削られないように阻止するもの」

13時頃:上げ坂
「一番手の花馬から順番に、それぞれ2回ずつ行う」

・15時頃:騎手と神職の盃

・16時頃:須賀馬場乗(すかばばのり)

・21時半:鞭祭り
「騎手各自が心を込めて作った鞭を奉納する」

多度大社多度祭・上げ馬神事のタイムスケジュール(5月5日)

・6時:御例祭
「朝祭りと呼ばれ、騎手は御手洗川で沐浴」

・10時半頃:騎射馬神児乗込
「騎手は馬上で弓の弦を引いて鳴らす、弦打(つるうち)を所定の場所で行う」

・11時半頃:馬場乗

・13時頃:神児迎え式(ちごむかえしき)

14時頃:上げ坂(各1回)

・15時半頃:楠廻りの行事

・16時頃:神輿渡御(みこしとぎょ)「出発」
御旅所への行列の列次、御旅所祭典、流鏑馬(やぶさめ)、神輿還御(みこしかんぎょ)「帰る」

多度大社多度祭・上げ馬神事・桟敷席(さじきせき)

観光客の増大によって、桟敷席が設けられるようになり、1区画(ます)幅1.8×奥行3.6メートルで、1区画あたり10名まで入場可能として販売されています。

※参考価格(詳しくは公式HPで確認してください)
1区画あたり、5月4・5日の両日利用で5万、1日だけだと3万で過去に売り出されています。

多度大社の場所・住所(アクセスと駐車場)

p>三重県桑名市多度町多度1681番地

▼自動車
東名阪自動車道桑名東ICより約10分、弥富ICより約15分、伊勢湾岸自動車道湾岸桑名ICより約26分

流鏑馬祭中、周辺の駐車場は数百台分しかなく、交通規制もされる為、止めるのは困難です。

▼電車
養老鉄道養老線多度駅より、徒歩約25分
養老鉄道養老線多度駅より、車で約5分

▼バス
多度駅より桑名市コミュニティバス・K-バス「多度大社前」下車、徒歩約1分

-三重県の馬の祭り・神事, 日本の馬の祭り・神事